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カレーいろんな味する事件

カレーというのはカレー粉やカレールウだけですでに強烈な主張をしているものだし、それを加えるだけで豚汁はポークカレーに、うどんはカレーうどんに、カツ丼はカツカレーに(?)なってしまう魔法の液体である。からして、カレーにカレー以上の何を求めても仕方ない。カレーはカレーで、サラダを食べている状態をレタスを食べていると表現できたとしてもカレーを食べている状態をカレーを食べているという言葉以外で表現することはできないと思う。そのぐらいカレーとは絶対的存在なのである。

 

とつい先週まで思ってたんですが。ちょっと驚きました。1日1食にすると味覚が敏感になるとは聞いていたんですが、具材の溶けたカレーを一口食べてここまで「カレー」「たまねぎ」「にんじん」「じゃがいも」「豚バラ」「かぼちゃ」など一つ一つの食材の情報を受け取ったのは初めての経験でした。

そもそもとても美味しいカレーだったというのはある。それでもやっぱり野菜の甘さが五臓六腑に沁み渡る感じは他のものでお腹がいっぱいの時には感じられなかった事なんじゃないかと思います。贅沢はそのへんに転がってるんだね。

 

このように単純で同じ味しかしないというカレーへの誤解をなくした時、同時に考えていたのが世の中のカレー的存在のものについてです。タイムマシーン3号は自身のコンプレックスをネタにする漫才で「デブはカレーなの。チビでもハゲでもデブならデブになるの」ということを言っていたんですが、まさにこういうことです。

カレー的存在ベスト10、デブに次ぐ第2位は「ジャニオタ」ではなかろうか。

「ジャニオタ」の文字が走った瞬間、人々は担当ファンサ鑑賞会オーラス団扇フロートスタンド花道などザ・ジャニオタ的情報を一気に受け取って瞬時に処理してしまう。主婦もOLも中学生も医者も弁護士もキャリアウーマン的な人もここでは同じものとして取り扱われる。

これ多分他の分野でもオタクならみんなそうだろということでもないと思う。オタクは今やネルシャツやオタ芸などという記号だけではとても包括出来ないほど好みが細分化しているように思うけど、ジャニオタは割と昔から活動の形や応援の仕方にそこまで変化がないのでは…ジャニオタじゃない人が描くジャニオタのイメージはおそらくそこまで現実のジャニオタとかけ離れる事はない…

もしかしたらヅカファンとかもそうなのかも。もはや伝統芸といって良いほど長い歴史と人気を持つ何かとそのファンが変わる事ってあんまりない?憶測でしかないけど

 

しかし勿論ジャニオタにも程度がある。全財産をはたいて全国津々浦々のコンサートに出かけCDやDVDを買う人もいれば、ほかの趣味と掛け持ちしながらジャニーズの好きなグループを応援する人もいる。

ジャズ好きのジャニオタ、落語好きのジャニオタ、料理好きのジャニオタ、海外留学中のジャニオタ、ミュオタのジャニオタ、ボイメンとジャニオタ…挙げればきりがないけどこういう人は絶対にいる。この人達の人となりはそれによって複雑に構成されているはず。オタクの知識は深く広い。それに頭からカレーをぶっかけて全部同じもののようにたいらげるのはあまりにもったいないことだ。

 

デブでもジャニオタでも他の言葉でも、その中にどんなものが溶け出しているのかが分かればとても楽しそうだなあ。それがわかった時価値のない人間なんてそんなに沢山はいないということも理解できるんじゃないかなあ。分かりたいけど、自分に注目しすぎてて周りがまだ見えない。