ちゃんとしてる奴なんかいない

内定者として何回か合説のお手伝いに行っています。総合商社とか人気のある業界や企業のブースはサーッと埋まる一方で、弊社をはじめ殆どのそれ以外は一生懸命呼び込みをすることで学生に来て貰っているような感じです。私も就活してた時の視野はとても狭かった人間なのでその気持ちはすごく分かるけど、折角たくさんの企業が集まってるしまだこの時期なんだからもっと色んなとこ見ようとすればいいのに。

大人の言う事は後になって正しかったと気づくことばかりだ

最初は立ち止まってくれない事やいい感触を得られない事に戸惑いが募っていましたが、さすがに3回目あたりになると少しずつコツを掴み、実際にブースに案内できる機会も増えるように。それだけでなく私自身も慣れてきたのか就活生と普通に会話を楽しんだりすることも出来て、最初は萎縮しまくりだったのが「なんだ私ちゃんと内定者できてるじゃないか…!」と、少しは一人前になれたような気がして内心ほくほくしてました。

ただ休憩を貰ってトイレに行った時に長い鼻毛がすっと出てる事にやっと気が付いたんですよね。これオチだと思って書いてるわけじゃなくて事実です。鼻毛が出てるとかよく聞くけど、実際に出てる人なんて殆ど見た事ないじゃないですか。私だって鼻毛出した事なんか今まで全然ないのに、鏡を見る暇もないくらい夢中になって一生懸命仕事をした途端この仕打ちって日頃の行いどんだけ悪いの

今日会った沢山の就活生は鼻毛を出しながら偉そうに講釈を垂れる内定者をどう思ったんだろう…いい歳して鼻毛の処理もできないこんなアホでも内定取れるんだなとか、そういうプラスに受け取ってもらえたなら嬉しいけど…

もちろん自意識過剰なだけで誰も気づいていなかった説もあるけど、そんな規模のやつじゃなかったんだよな…まぁ…デートや合コンじゃなかっただけ良しとしようか…

 

内定者とか人事とか現役社員とか偉そうで凄そうに見えることあるかもしれないし、この時期私はもうどこからも内定を貰える気がしなくて毎日吐きそうだったけど、別にみんな人間だし私生活うまくいってませーん!おっぱい揉みたい!会社辞めたい!みたいな人の方が絶対多いので心配いらないです。然るべき時期に然るべきスーツを着て都内をウロつくことができる人語を喋る生き物であれば必ずどこかから内定は出ますし、準備をきちんとすればするほどいいご縁になるのではないでしょうか。

 

カレーいろんな味する事件

カレーというのはカレー粉やカレールウだけですでに強烈な主張をしているものだし、それを加えるだけで豚汁はポークカレーに、うどんはカレーうどんに、カツ丼はカツカレーに(?)なってしまう魔法の液体である。からして、カレーにカレー以上の何を求めても仕方ない。カレーはカレーで、サラダを食べている状態をレタスを食べていると表現できたとしてもカレーを食べている状態をカレーを食べているという言葉以外で表現することはできないと思う。そのぐらいカレーとは絶対的存在なのである。

 

とつい先週まで思ってたんですが。ちょっと驚きました。1日1食にすると味覚が敏感になるとは聞いていたんですが、具材の溶けたカレーを一口食べてここまで「カレー」「たまねぎ」「にんじん」「じゃがいも」「豚バラ」「かぼちゃ」など一つ一つの食材の情報を受け取ったのは初めての経験でした。

そもそもとても美味しいカレーだったというのはある。それでもやっぱり野菜の甘さが五臓六腑に沁み渡る感じは他のものでお腹がいっぱいの時には感じられなかった事なんじゃないかと思います。贅沢はそのへんに転がってるんだね。

 

このように単純で同じ味しかしないというカレーへの誤解をなくした時、同時に考えていたのが世の中のカレー的存在のものについてです。タイムマシーン3号は自身のコンプレックスをネタにする漫才で「デブはカレーなの。チビでもハゲでもデブならデブになるの」ということを言っていたんですが、まさにこういうことです。

カレー的存在ベスト10、デブに次ぐ第2位は「ジャニオタ」ではなかろうか。

「ジャニオタ」の文字が走った瞬間、人々は担当ファンサ鑑賞会オーラス団扇フロートスタンド花道などザ・ジャニオタ的情報を一気に受け取って瞬時に処理してしまう。主婦もOLも中学生も医者も弁護士もキャリアウーマン的な人もここでは同じものとして取り扱われる。

これ多分他の分野でもオタクならみんなそうだろということでもないと思う。オタクは今やネルシャツやオタ芸などという記号だけではとても包括出来ないほど好みが細分化しているように思うけど、ジャニオタは割と昔から活動の形や応援の仕方にそこまで変化がないのでは…ジャニオタじゃない人が描くジャニオタのイメージはおそらくそこまで現実のジャニオタとかけ離れる事はない…

もしかしたらヅカファンとかもそうなのかも。もはや伝統芸といって良いほど長い歴史と人気を持つ何かとそのファンが変わる事ってあんまりない?憶測でしかないけど

 

しかし勿論ジャニオタにも程度がある。全財産をはたいて全国津々浦々のコンサートに出かけCDやDVDを買う人もいれば、ほかの趣味と掛け持ちしながらジャニーズの好きなグループを応援する人もいる。

ジャズ好きのジャニオタ、落語好きのジャニオタ、料理好きのジャニオタ、海外留学中のジャニオタ、ミュオタのジャニオタ、ボイメンとジャニオタ…挙げればきりがないけどこういう人は絶対にいる。この人達の人となりはそれによって複雑に構成されているはず。オタクの知識は深く広い。それに頭からカレーをぶっかけて全部同じもののようにたいらげるのはあまりにもったいないことだ。

 

デブでもジャニオタでも他の言葉でも、その中にどんなものが溶け出しているのかが分かればとても楽しそうだなあ。それがわかった時価値のない人間なんてそんなに沢山はいないということも理解できるんじゃないかなあ。分かりたいけど、自分に注目しすぎてて周りがまだ見えない。

ギターはちょっとでも弾けるとなんかいい感じになる

家に一台だけ残っているアコギといつ買ったのか誰から貰ったのかわからない「ソロギターのしらべ」を気分が落ち込んだ時のおともにしています。

別に全然弾けないんですけど、特に意味もなくつれぇ〜みたいになった時に知ってる名曲を自分で下手なりにでも演奏できるというのはとても励みになります。よく弾くのは酒バラことDays of wine and roses。理由があるわけではなく、一番簡単なアレンジだったからです。

勿論昔から知ってる曲で大好きだけど、初めて聴いた時は酒に溺れる夫婦の話だとは思いもしなかった。もっと夢のある印象を勝手に受けてました。実は映画を一度も見ていないので何の感想も言えないけど、ストーリーを聞くとなんだか切ないなあという気持ちと同時にさもありなんという気持ちになる。お酒に溺れたくなるタイミングなんて誰にでもあるし、沼は抜けられないよねそばにいる人もズブズブ浸かっているならなおのこと。私も家族と友達が見捨てずにいてくれるから何とかもってるだけのことだし割とみんなそうなんじゃないかな?

 

いつまでも自分だけつらいみたいな顔してんじゃないよ、この世にいつも満たされてる人なんていやしないよ、と思いながらこの曲をボロロンと爪弾き、なにはともあれアル中じゃないし健康で良かったなとひとりごちるのであります。

1日1食にして、10km走っています

といってもまだ3日目です。普通のお米がびっくりするほど美味しくなったのは良い事だけど、そのかわり一日中お腹が空いていて食べ物の事ばっかり考えるようになってしまってます。慣れには程遠い。体重は1.7kg減ったけどこれは水分が抜けただけなので誤差みたいなものです。

1日一食にしようと思ったきっかけはやはり激太り。具体的には半年で6kg増えました。理由ははっきりしていて、たまたま和菓子屋でバイトするようになってからです。

私は和菓子を専門店で買って食べる習慣が全く無かったので、朝搗いてそのままお店に並ぶお餅の柔らかさとか砂糖をやたらめったら使ってないあんこのあっさりした美味しさとか全然知らなかった分初めて食べた時ものすごく衝撃を受けたのです。しかもほぼ遅番なのでその日廃棄になる分は捨てようが食べようが好きにしていい。

これはもう絶対食べますよね。食べるんですよ。美味しいからっていうのもあるけど、「こんなに美味しいお菓子が捨てられるなんてありえない、人の腹に入るべき」みたいな変な愛着も商品に対して湧きまくりで。別名糖質爆弾こと大福や団子を。帰宅してからの11時台あたりにバクバクと。

なのでなんの不思議もなく太りました。すごい納得してる。増えた数値が大きすぎて今までみたいに「ヒイ!どうしよう!」みたいなのが全く無い。

このまま好きなものを好きなだけ食べてフクフクしていく人生もありではあるんだけど、昔から付き合いのある友達からの(こいつ太ったなー…)(なんっかもうブヨブヨだな…)という目線が痛すぎる。昔はデブって言われるの極度に恐れてたけど、本当のただのデブな人になってからは言われないのがつらい。

それで人生で何度目かわからないダイエットに取り組もうと思ったのです。糖質で太ってるわけだから糖質制限だ!と思ったけど、糖質で太ってるという事は糖質が大好きだという事でもあるのでやめました。ライザップのトレーナーさんってどうやって言うこと聞かせてるのかな…?私だったら高いお金払っていたとしても炭水化物の一切を抜くなんて無理だ…。

ランに関しては少し前から始めてるので10kmはそこまで苦行でもないです。うれしい。1日1食、10kmラン、プロテイン。これでいきます。

 

ヒマだからこそできる生活だしそもそもまだ3日しか続いてないけど、やっぱり体が軽くて調子いいです。今日は寝坊したりダラダラしてたから15時前くらいから走り始めて、帰ってその日初めての食事をめちゃくちゃ美味しくいただいて、17時くらいにはお風呂にザブーンといったわけなんですが、ちょっと最高すぎて引きました。単純バカに生まれてほんとーによかった。

自分の中にあるものが普通のものばかりで、寝たい食べたいサボりたいでも愛されたり認められたりもしたいみたいなのしかないという身もフタもない事実が、生活の無駄を削ぎ落とした時にこうして改めて明らかになるのは寂しいけど楽しい。

 

これからもまだ和菓子屋でのバイトは続くし、昨日なんかお腹も空いてる分ほとんど断腸の思いで売れ残りを処理しました…。たまには和菓子を1食分にカウントして食べられるよう、日々の食事を摂生していく所存です。半年で10kgくらい減らしたい。減らす。

 

〇〇とか気にならなくなるくらい走りこめばいいんですよ

〇〇には好きなコンプレックスを当てはめよう!

https://park.gsj.mobi/program/show/27400

 

サンドリ聞き始めて1年くらい経ちました。最初こそ衝撃的だったけど、今となってはこれを聞かないとなんとなく日曜日が終わらない感じです。

タイトルはラグビー日本代表の畠山選手がゲスト出演した時に話していた事。ごもっともの一言だけど、たぶん実践できる人そんなにいないよね。「気にならなくなるくらい走りこむ」って具体的に何キロくらいなんだろう。

私もフルマラソンを来来月に控える身なので少しは走ったりするんですが、確かに走ってる最中にネガティブな事とか自分のコンプレックスについて考えるのはめっちゃ難しいです。ただそれは走ってる時とその後2時間くらいの間だけの話で、後はやっぱり通常運転になります。

それにしても走ったくらいで吹き飛んでしまうコンプレックスや悩みしか持ち合わせていない癖にそれらに1日や人生の殆どを支配されてるタイプの人間って一体なんなんだろか。愚かだ〜

 

このラジオなんですが、内容はほぼ下ネタと悪口です。爆笑させられたことも勿論沢山ありますが、時々よくこんな同じ内容でずーーっと笑っていられるなと思う事もあります。要するにすごくこう、男の子ならではの感じなんです。「包〇アナ〇〜〜〜〜!!ギャハハハハハ!!」みたいな少年のノリをそのまま成長させて電波に乗せてる風。

そんなラジオを聴くたびに思うのが、「ああやっぱり男に生まれたかったなあ…いいなあ男楽しそうだなあ…」という事。女だって下ネタと悪口は言うけど、どれも自分の経験に基づいた本気の話になってしまうので。経験がないとコミュニケーションとれないので。単語を基に昔と同じテンションで笑う事とかあいつはモテてムカつくみたいな気持ちをストレートに表現して笑いをとるのって男の人ならではじゃないですか?違うのかな?

いくつになっても子どもの部分を持ち合わせてるよ〜みたいなのが許されてるのは本当に楽しそう。今更だけど。

 

こういう事を小さい頃からずっと思ってました。その辺の男性よりも頭が切れるタフな女性が存在するのは知ってるけど自分はそうじゃないし、女性も自立する時代なのは知ってるけど世の中のルールを作っているのは男側だからそれは「男のルールの中で自立する女性」という事だし、何より時代とか制度に関係なく女が男に物理的な力で勝る事ってあんまり無いと思うし。力一杯殴られたら多分普通に怪我をするし。

なんか男、生まれながらにして遊びもルールも力も全部主導権持ってるなあ、いいなあ〜!というのが私の長年の考えだったんです

 

東京タラレバ娘が流行ってますね。ドラマに関しては「とはいえ吉高由里子榮倉奈々大島優子も綺麗すぎて参考にならん」という気持ちですが、それよりもどの雑誌を読んでいても東村アキコさんが出てくる現象が凄かった。色んなインタビュー記事を読みましたが、その中で印象に残ったのは「タラレバ娘の裏テーマは『自分の事ばかり考えている女の子』です」という一文。

なるほど、結婚や出産というのは女にとって人生のリングから降りる事でもあるんですね。勿論頑張らなきゃいけないことはそれからも沢山あるけど、ひとまず自分のためだけの人生だったのが誰かのための人生にもなるという意味で。結婚は女の幸せだという説明は少しも納得出来ないけど、主役じゃなくなる(気が楽になる)というのはとてもわかる。働いていようが働いていなかろうが、一女性としてのあり方を問われる機会は色んな意味でぐっと減る。今後変な男に捕まる心配も職場で嫌な上司に品定めされるような気分になる事もないっていうのはやっぱり楽な気持ちになれそうだ。

一方男性は人生のリングから降りる機会があんまり無い。社会にしっかりとした居場所を持っている分、絶対にそこで頑張る事が女性よりも強めに求められている様な気がしてならない。実際、社会の中での挫折を極度に恐れている男性って結構いる気がする。だから十円ハゲ作るまで働いたり鬱になって休職したりする事があるのかな。自己啓発本やビジネス書も男性向けのものの方が多く目につく。

働く女性にはこういう事が起きないとか苦労がないとかじゃなくて、なんとなく男性の方が無理する事を是とされている空気があるというか…。

いくつになっても子供心を忘れない(忘れられない)という事はいくつになっても人生の主役を張るという事でもあり、そこにはどうしても圧が生じるのかもしれない。

 

なんだ男の人もめっちゃ大変そうじゃん。なんでお互いにもっといい感じで生きられないんだ。

怖いのが今まで書いた話の中にいっこもしなきゃいけない事がないって事ですね。結婚も出産もしなくてもいいし男だからって仕事頑張んなきゃダメなわけでもないし、嫌なら別に逃げていいことばかりなのに大体の人はこういう事でがんじがらめになってるわけじゃないですか。私も。

 

そこで「走り込め」というアドバイスが生きてくるのかもしれないですね。何も気にならなくくらい走って、走れたとして、性別含む色んなしがらみは超えていけるんでしょうか?

ここ5年で一番良かった本

を、2016年末にして発見しました。恩田陸の『蜜蜂と遠雷』です。ハードカバーは滅多に買わない(そもそもそこまで読書家でもない)ので500ページを超えるこの本を見た時はちょっと躊躇したんですが、朝井リョウさんがめちゃくちゃ良かったと言っているのをコラムで目にしたので間違いないだろうと思い購入しました。リトルトゥースの言う事に全幅の信頼を置いております。

http://www.gentosha.co.jp/book/b10300.html

以下引用

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3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。
養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。
彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。
第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

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URL出そうと思って調べてたらいつの間にか直木賞候補にもなっていた!受賞したらセンスを認められた気がして勝手に嬉しい。でも、森見登美彦の『夜行』が取っても嬉しい。有頂天家族はじめほぼ全部持ってます。『夜行』はまだ買ってないけど…

 

感想ですが、タイトル通りで本当にここ5年で読んだ本の中で一番面白かったです。

凡人は凡人として生きるほかないし、凡人が天才の感じている事を同じように感じる事は一生ないと思うんですが、この本の中でだけはそれを体験することができます。それぞれのピアニストの演奏中の描写にかなりのページ数が割かれていて、自然と引き込まれるというよりは頭から飲み込まれて今まさにコンサートホールに座って演奏を聴いているような、それでいてピアニスト自身になったような、不思議な気分になります。課題曲にそれぞれが込める想いや、即興にあたるカデンツァの表現の仕方も千差万別で、これが天才でありその上に努力を重ねてきた人達しか見られない・見せられない景色なんだろうなあと思ってしまいました。

クラシックの知識は全く無いですが説明が丁寧なので十分楽しめます。むしろ、もし私が音大出身者とかだったらいろいろな切なさとか感じてるのではないかなあ。更に面白く読めるということでもあるんだろうけども。

 

一番好きなシーンは栄伝亜夜と風間塵がコンクールとは別の場所で一緒にピアノを弾く部分です。「お月様、綺麗だったね」という塵の一言で2人は弾き始めるのですが、ドビュッシーの月の光から、Fly me to the moon、月光の第二楽章、How high the  moon とユニゾンで弾き続けていきます。ジャズなら少しわかるのでこのシーンに関しては完全に曲を知っている状態で読めた分高揚感が凄まじかったです。

またここの描写がとても素敵で

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亜夜は、全身をビリビリと電流のような歓喜が押し寄せてくるのに眩暈がした。風間塵が笑っている。大きく口を開け、笑っている。

いつのまにか、亜夜も一緒に笑っていた。どこまでも満ちてくる月の光、寄せる、うねる、寄せる、泡立つ、しぶきがきらめく。

どこまでも飛べそうだー(260P)

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天才にしかできない遊びではあるんだろうけど、この感覚だけに関して言えば、ちょっとでも音楽が好きだなと思った事のある人なら誰でも感じた事があるもののような気がする。いい音楽を聴いたり演奏できた時の楽しさは凄いし、それを誰かと分かち合える時は幸せったらない。

本は自分以外の人生を体験できるツールだとよく言われますが、この本はそれを超えて、タイプの違う4人のピアニストとそれを取り巻く人々を通して読者それぞれを物語の中に参加させてくれて、その中でそれぞれが持つ経験・感覚・恐怖・幸福を思い出させてくれるような作品だと思います。

 

最後に、この小説にはピアニストや審査員等の音楽家のほかに、28歳の出場者の明石をはじめとするコンテスタントに密着取材を試みる雅美という女性が登場します。彼女はコンクール中盤、出場者の演奏中の表現や演奏後の満ち足りた顔を見て「あんなふうに、あたしは自分の仕事に幸福感を覚えたことがあっただろうか。」と自問します。

個人的にはサラリーマンがそんな幸福感を仕事に求めるのは筋違いだと思ってます。そもそも一人一人無力だから組織になって何かをやろうとしているわけなので、その時点で生活を切り詰めて時には孤独に一つの事を極めようとする人達とはなにもかも違うなと。

けどそういう事を素直に思わせてくれることがすごい。ともすれば人生の意味なんて簡単に見失う凡人にとって、天才が凌ぎを削って見せてくれるものや芸術そのものは生きる糧だと感じました。この本を読めて本当に嬉しいし、今年は出来れば多くの本を読みたいなと思っています。

 

このブログは少しずつ書いていたのですが、ちょうど今日直木賞受賞が決定したそうです。

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6227664

私まで嬉しい。これは映画化もあるんじゃないでしょうか。

 

小人閑居して不善を為しまくり2016

こういう諺を見たり、80〜90年代にananとかMOREで連載されてたOL向けお悩み相談コラムとか読んだりするといつもああ人間は進歩しないものなんだなあと思います。どんなに時代が変わって多種多様な価値観が生まれたとしてもみんなが寂しさとか自尊心とか勝てっこないものに勝とうとしてツラいという状況は昔から変わってない気がする。先人の経験は全然生かされなくて100年前の人と同じようなことで普通に毎日悩んだりする。

 

私も寂しさと自尊心にボコボコにされる1年でした。下手に暇があったせいで心の穴の中の穴を覗き込み自分の中にこそ幸せの答えはあるんだとズブズブズブズブのめり込み、優しさを優しさとも思えずみんなが敵に見え出して、結果仲良くしてくへた人達と疎遠になりブクブクに太り卑屈な性格をさらに卑屈にしたのでした。

誰の役にも立たないという意味でほぼ泥、ものを食べたり金を欲しがったりするという点で泥以下までグジュグジュになった私が昨年1年でやっとわかったことといえば

自分の心の中に答えやなんかの足しになるものなんて一つもないし、自分の脳ミソにはおがくずみたいなもんしか詰まってない

という事でした。悲劇ではなく事実として無能っぷり取り柄無いっぷりを認めざるをえなくなってしまいました。

それはこれまでとても怖い事だったけど、一度そうなってしまえば割とスッキリしたもんです。

 

引きこもりも1人で長い時間思い悩む事も、賢い人がやれば実りあるものになると思います。学者さんとか。

一方私は賢くなくて、よって引きこもっても不利益しか生まないので身体的にも精神的にももうこもるのはやめようと思います。

頭は使わない。とにかく手を体を動かして人と関わる。健康体な事はありがたいことに間違いないのでそれくらいはできる。勧められたことは引き受けてみる。バカなんだから独断しない。これまでの人生で毎日のようにしてきたズルと手抜きをやめる。今仲良くしてくれてる人を大切にする。望みを持たない。これまで自分を何よりも誰よりも大切にしてきた分今年は駒になれるようにがんばる。