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つらいけど別に初めてじゃない

教習所がつらい。運転がこんなに難しいなら免許取ろうなんて思わなかった。教官がとても人格者で本当に優しいのが逆につらい。色んな話聞くけど教習中に「どうされました!?」って聞かれる人いる…?ほんと上達しなくて申し訳ない…情けない…こないだの教習のあとトイレいったらドア閉めた瞬間勝手にぶわっと涙出てきた…(24歳)やっと止めてそのまま帰りの送迎バス乗ったら運転手さんに気を遣われてものすごい励まされた…(24歳)

 

↑こういう普通の人が普通に出来ることが全然できないということが私の人生にはたくさんある。本当にこんなことばっかりで、サクッとできるようになりましたみたいなのって全くないなあ。大抵人の2倍近い時間をかけてやっと60点くらいになる。

ということは私の能力は普通以下と結論づけていいと思うし、この先の人生もそれ前提で進めていくしかないからそれはそれでもういいんだけど、なんっで毎回毎回落ち込むんだろう?ああこの経験知ってる、この気持ちになったこと何度もある、のに、なんで毎回完膚なきまでに心ボコボコにされてしまうんだろ?過去の傷つき損…

 

免許は別にもういらないんだけど続けてるのはこれ以上逃げ癖つけたらあかんと。意地だけです。

あと免許に限らず要領よく何でも出来る人には分からないことだと思うけど、こういう能力低めな人間にとって何かを出来るようになるということに対する喜びはとても大きいのです。

粘っていればいつか取得できるはず運転免許。このぶんだと免許証手にした日には泣くかもしれない。

 

こんな、シンプルに頭の悪い人間でいるのつらいなあ…。誰か代わってくれるならほんとに代わってほしい。

誰もが見た目は日々悪くなっていくけど

大人になってから聴く浪漫飛行が最高だ…!歌自体は昔から、それこそ小学生の頃から知っていて歌っていたと思うけど、あの時とは高揚感が比べ物にならない。飛び回れこのマイハートという歌詞の凄み…きっと働き始めたらもっと沁みるようになるんじゃないでしょうか。楽しみです。

そういえば満島ひかりカロリーメイトのCMで歌ってたなあ。懐かしい。

https://youtu.be/86ZIyqtYce0

 

前から知っているものが急に胸に迫ってくるような、こういう事が結構頻繁に起こるからサブカルになって良かったし歳を重ねていく甲斐もあると思える。毎日毎日ヒマさえあれば年齢に対する不安が襲ってくるけど、こんな曲を聴くたび嫌な気持ちがしゅうっとしぼんでいきます。

ただ逆のことも起こる。10代の時めちゃくちゃ大事にしてたものが残念ながら分からなくなるような事も同時に起きていく。個人的にはフジファブリック若者のすべてがあまり心に響かなくなったことに気づいた時は衝撃でした。

若者のすべてといえば高校生の頃から毎年夏の夕方や夜になるとエモい切ないと騒いでいた一曲。何度もこの曲を聴きながら帰り道や電車の中で胸を締め付けられてきたように思います。

それが20歳前後の時に以前の様な聴こえ方はしなくなりました。変わらずいい曲だけど何かが違うことに気づいた時にああ私の子供時代は終わったのかあと思いました。確かにそれ以降、「ないかな、ないよな」という気持ちにはあんまりなりません。わあなんか言ってて寂しくなってきた…

でもその代わりに森山直太朗の夏の終わりの良さに気がついた。昨年出たベスト盤を頭から聴いていた時にこれこんなにいい曲だったの!?と。この曲も昔から知ってたけど聴こえ方が昔と全然違くなっていました。若者のすべても夏の終わりも時期は一緒だし名曲だけど、世代や人によっても色々捉え方があるんだな。当たり前なんだけど、それを実感できたということが嬉しいな。

音楽に限らず、誰もがこういう経験をきっとしているんだろうなあ。めちゃイケの面白さがまったく分からなくなってしまったとかクラブは音がうるさくて疲れるだけになってしまったとか。でもそのぶん今まで気づく事のなかった物の価値を知って楽しむ事が出来るから全然悪いことじゃないね。

30歳には30歳の、40歳には40歳の時にしか分からないものがあるはずだしそれを見逃すのは勿体無いから、毎年毎年の自分の変化に気を配って身の回りをつぶさに観察していいものを見つけ続けられたらいいなあ。

ちゃんとしてる奴なんかいない

内定者として何回か合説のお手伝いに行っています。総合商社とか人気のある業界や企業のブースはサーッと埋まる一方で、弊社をはじめ殆どのそれ以外は一生懸命呼び込みをすることで学生に来て貰っているような感じです。私も就活してた時の視野はとても狭かった人間なのでその気持ちはすごく分かるけど、折角たくさんの企業が集まってるしまだこの時期なんだからもっと色んなとこ見ようとすればいいのに。

大人の言う事は後になって正しかったと気づくことばかりだ

最初は立ち止まってくれない事やいい感触を得られない事に戸惑いが募っていましたが、さすがに3回目あたりになると少しずつコツを掴み、実際にブースに案内できる機会も増えるように。それだけでなく私自身も慣れてきたのか就活生と普通に会話を楽しんだりすることも出来て、最初は萎縮しまくりだったのが「なんだ私ちゃんと内定者できてるじゃないか…!」と、少しは一人前になれたような気がして内心ほくほくしてました。

ただ休憩を貰ってトイレに行った時に長い鼻毛がすっと出てる事にやっと気が付いたんですよね。これオチだと思って書いてるわけじゃなくて事実です。鼻毛が出てるとかよく聞くけど、実際に出てる人なんて殆ど見た事ないじゃないですか。私だって鼻毛出した事なんか今まで全然ないのに、鏡を見る暇もないくらい夢中になって一生懸命仕事をした途端この仕打ちって日頃の行いどんだけ悪いの

今日会った沢山の就活生は鼻毛を出しながら偉そうに講釈を垂れる内定者をどう思ったんだろう…いい歳して鼻毛の処理もできないこんなアホでも内定取れるんだなとか、そういうプラスに受け取ってもらえたなら嬉しいけど…

もちろん自意識過剰なだけで誰も気づいていなかった説もあるけど、そんな規模のやつじゃなかったんだよな…まぁ…デートや合コンじゃなかっただけ良しとしようか…

 

内定者とか人事とか現役社員とか偉そうで凄そうに見えることあるかもしれないし、この時期私はもうどこからも内定を貰える気がしなくて毎日吐きそうだったけど、別にみんな人間だし私生活うまくいってませーん!おっぱい揉みたい!会社辞めたい!みたいな人の方が絶対多いので心配いらないです。然るべき時期に然るべきスーツを着て都内をウロつくことができる人語を喋る生き物であれば必ずどこかから内定は出ますし、準備をきちんとすればするほどいいご縁になるのではないでしょうか。

 

カレーいろんな味する事件

カレーというのはカレー粉やカレールウだけですでに強烈な主張をしているものだし、それを加えるだけで豚汁はポークカレーに、うどんはカレーうどんに、カツ丼はカツカレーに(?)なってしまう魔法の液体である。からして、カレーにカレー以上の何を求めても仕方ない。カレーはカレーで、サラダを食べている状態をレタスを食べていると表現できたとしてもカレーを食べている状態をカレーを食べているという言葉以外で表現することはできないと思う。そのぐらいカレーとは絶対的存在なのである。

 

とつい先週まで思ってたんですが。ちょっと驚きました。1日1食にすると味覚が敏感になるとは聞いていたんですが、具材の溶けたカレーを一口食べてここまで「カレー」「たまねぎ」「にんじん」「じゃがいも」「豚バラ」「かぼちゃ」など一つ一つの食材の情報を受け取ったのは初めての経験でした。

そもそもとても美味しいカレーだったというのはある。それでもやっぱり野菜の甘さが五臓六腑に沁み渡る感じは他のものでお腹がいっぱいの時には感じられなかった事なんじゃないかと思います。贅沢はそのへんに転がってるんだね。

 

このように単純で同じ味しかしないというカレーへの誤解をなくした時、同時に考えていたのが世の中のカレー的存在のものについてです。タイムマシーン3号は自身のコンプレックスをネタにする漫才で「デブはカレーなの。チビでもハゲでもデブならデブになるの」ということを言っていたんですが、まさにこういうことです。

カレー的存在ベスト10、デブに次ぐ第2位は「ジャニオタ」ではなかろうか。

「ジャニオタ」の文字が走った瞬間、人々は担当ファンサ鑑賞会オーラス団扇フロートスタンド花道などザ・ジャニオタ的情報を一気に受け取って瞬時に処理してしまう。主婦もOLも中学生も医者も弁護士もキャリアウーマン的な人もここでは同じものとして取り扱われる。

これ多分他の分野でもオタクならみんなそうだろということでもないと思う。オタクは今やネルシャツやオタ芸などという記号だけではとても包括出来ないほど好みが細分化しているように思うけど、ジャニオタは割と昔から活動の形や応援の仕方にそこまで変化がないのでは…ジャニオタじゃない人が描くジャニオタのイメージはおそらくそこまで現実のジャニオタとかけ離れる事はない…

もしかしたらヅカファンとかもそうなのかも。もはや伝統芸といって良いほど長い歴史と人気を持つ何かとそのファンが変わる事ってあんまりない?憶測でしかないけど

 

しかし勿論ジャニオタにも程度がある。全財産をはたいて全国津々浦々のコンサートに出かけCDやDVDを買う人もいれば、ほかの趣味と掛け持ちしながらジャニーズの好きなグループを応援する人もいる。

ジャズ好きのジャニオタ、落語好きのジャニオタ、料理好きのジャニオタ、海外留学中のジャニオタ、ミュオタのジャニオタ、ボイメンとジャニオタ…挙げればきりがないけどこういう人は絶対にいる。この人達の人となりはそれによって複雑に構成されているはず。オタクの知識は深く広い。それに頭からカレーをぶっかけて全部同じもののようにたいらげるのはあまりにもったいないことだ。

 

デブでもジャニオタでも他の言葉でも、その中にどんなものが溶け出しているのかが分かればとても楽しそうだなあ。それがわかった時価値のない人間なんてそんなに沢山はいないということも理解できるんじゃないかなあ。分かりたいけど、自分に注目しすぎてて周りがまだ見えない。

ギターはちょっとでも弾けるとなんかいい感じになる

家に一台だけ残っているアコギといつ買ったのか誰から貰ったのかわからない「ソロギターのしらべ」を気分が落ち込んだ時のおともにしています。

別に全然弾けないんですけど、特に意味もなくつれぇ〜みたいになった時に知ってる名曲を自分で下手なりにでも演奏できるというのはとても励みになります。よく弾くのは酒バラことDays of wine and roses。理由があるわけではなく、一番簡単なアレンジだったからです。

勿論昔から知ってる曲で大好きだけど、初めて聴いた時は酒に溺れる夫婦の話だとは思いもしなかった。もっと夢のある印象を勝手に受けてました。実は映画を一度も見ていないので何の感想も言えないけど、ストーリーを聞くとなんだか切ないなあという気持ちと同時にさもありなんという気持ちになる。お酒に溺れたくなるタイミングなんて誰にでもあるし、沼は抜けられないよねそばにいる人もズブズブ浸かっているならなおのこと。私も家族と友達が見捨てずにいてくれるから何とかもってるだけのことだし割とみんなそうなんじゃないかな?

 

いつまでも自分だけつらいみたいな顔してんじゃないよ、この世にいつも満たされてる人なんていやしないよ、と思いながらこの曲をボロロンと爪弾き、なにはともあれアル中じゃないし健康で良かったなとひとりごちるのであります。

1日1食にして、10km走っています

といってもまだ3日目です。普通のお米がびっくりするほど美味しくなったのは良い事だけど、そのかわり一日中お腹が空いていて食べ物の事ばっかり考えるようになってしまってます。慣れには程遠い。体重は1.7kg減ったけどこれは水分が抜けただけなので誤差みたいなものです。

1日一食にしようと思ったきっかけはやはり激太り。具体的には半年で6kg増えました。理由ははっきりしていて、たまたま和菓子屋でバイトするようになってからです。

私は和菓子を専門店で買って食べる習慣が全く無かったので、朝搗いてそのままお店に並ぶお餅の柔らかさとか砂糖をやたらめったら使ってないあんこのあっさりした美味しさとか全然知らなかった分初めて食べた時ものすごく衝撃を受けたのです。しかもほぼ遅番なのでその日廃棄になる分は捨てようが食べようが好きにしていい。

これはもう絶対食べますよね。食べるんですよ。美味しいからっていうのもあるけど、「こんなに美味しいお菓子が捨てられるなんてありえない、人の腹に入るべき」みたいな変な愛着も商品に対して湧きまくりで。別名糖質爆弾こと大福や団子を。帰宅してからの11時台あたりにバクバクと。

なのでなんの不思議もなく太りました。すごい納得してる。増えた数値が大きすぎて今までみたいに「ヒイ!どうしよう!」みたいなのが全く無い。

このまま好きなものを好きなだけ食べてフクフクしていく人生もありではあるんだけど、昔から付き合いのある友達からの(こいつ太ったなー…)(なんっかもうブヨブヨだな…)という目線が痛すぎる。昔はデブって言われるの極度に恐れてたけど、本当のただのデブな人になってからは言われないのがつらい。

それで人生で何度目かわからないダイエットに取り組もうと思ったのです。糖質で太ってるわけだから糖質制限だ!と思ったけど、糖質で太ってるという事は糖質が大好きだという事でもあるのでやめました。ライザップのトレーナーさんってどうやって言うこと聞かせてるのかな…?私だったら高いお金払っていたとしても炭水化物の一切を抜くなんて無理だ…。

ランに関しては少し前から始めてるので10kmはそこまで苦行でもないです。うれしい。1日1食、10kmラン、プロテイン。これでいきます。

 

ヒマだからこそできる生活だしそもそもまだ3日しか続いてないけど、やっぱり体が軽くて調子いいです。今日は寝坊したりダラダラしてたから15時前くらいから走り始めて、帰ってその日初めての食事をめちゃくちゃ美味しくいただいて、17時くらいにはお風呂にザブーンといったわけなんですが、ちょっと最高すぎて引きました。単純バカに生まれてほんとーによかった。

自分の中にあるものが普通のものばかりで、寝たい食べたいサボりたいでも愛されたり認められたりもしたいみたいなのしかないという身もフタもない事実が、生活の無駄を削ぎ落とした時にこうして改めて明らかになるのは寂しいけど楽しい。

 

これからもまだ和菓子屋でのバイトは続くし、昨日なんかお腹も空いてる分ほとんど断腸の思いで売れ残りを処理しました…。たまには和菓子を1食分にカウントして食べられるよう、日々の食事を摂生していく所存です。半年で10kgくらい減らしたい。減らす。

 

〇〇とか気にならなくなるくらい走りこめばいいんですよ

〇〇には好きなコンプレックスを当てはめよう!

https://park.gsj.mobi/program/show/27400

 

サンドリ聞き始めて1年くらい経ちました。最初こそ衝撃的だったけど、今となってはこれを聞かないとなんとなく日曜日が終わらない感じです。

タイトルはラグビー日本代表の畠山選手がゲスト出演した時に話していた事。ごもっともの一言だけど、たぶん実践できる人そんなにいないよね。「気にならなくなるくらい走りこむ」って具体的に何キロくらいなんだろう。

私もフルマラソンを来来月に控える身なので少しは走ったりするんですが、確かに走ってる最中にネガティブな事とか自分のコンプレックスについて考えるのはめっちゃ難しいです。ただそれは走ってる時とその後2時間くらいの間だけの話で、後はやっぱり通常運転になります。

それにしても走ったくらいで吹き飛んでしまうコンプレックスや悩みしか持ち合わせていない癖にそれらに1日や人生の殆どを支配されてるタイプの人間って一体なんなんだろか。愚かだ〜

 

このラジオなんですが、内容はほぼ下ネタと悪口です。爆笑させられたことも勿論沢山ありますが、時々よくこんな同じ内容でずーーっと笑っていられるなと思う事もあります。要するにすごくこう、男の子ならではの感じなんです。「包〇アナ〇〜〜〜〜!!ギャハハハハハ!!」みたいな少年のノリをそのまま成長させて電波に乗せてる風。

そんなラジオを聴くたびに思うのが、「ああやっぱり男に生まれたかったなあ…いいなあ男楽しそうだなあ…」という事。女だって下ネタと悪口は言うけど、どれも自分の経験に基づいた本気の話になってしまうので。経験がないとコミュニケーションとれないので。単語を基に昔と同じテンションで笑う事とかあいつはモテてムカつくみたいな気持ちをストレートに表現して笑いをとるのって男の人ならではじゃないですか?違うのかな?

いくつになっても子どもの部分を持ち合わせてるよ〜みたいなのが許されてるのは本当に楽しそう。今更だけど。

 

こういう事を小さい頃からずっと思ってました。その辺の男性よりも頭が切れるタフな女性が存在するのは知ってるけど自分はそうじゃないし、女性も自立する時代なのは知ってるけど世の中のルールを作っているのは男側だからそれは「男のルールの中で自立する女性」という事だし、何より時代とか制度に関係なく女が男に物理的な力で勝る事ってあんまり無いと思うし。力一杯殴られたら多分普通に怪我をするし。

なんか男、生まれながらにして遊びもルールも力も全部主導権持ってるなあ、いいなあ〜!というのが私の長年の考えだったんです

 

東京タラレバ娘が流行ってますね。ドラマに関しては「とはいえ吉高由里子榮倉奈々大島優子も綺麗すぎて参考にならん」という気持ちですが、それよりもどの雑誌を読んでいても東村アキコさんが出てくる現象が凄かった。色んなインタビュー記事を読みましたが、その中で印象に残ったのは「タラレバ娘の裏テーマは『自分の事ばかり考えている女の子』です」という一文。

なるほど、結婚や出産というのは女にとって人生のリングから降りる事でもあるんですね。勿論頑張らなきゃいけないことはそれからも沢山あるけど、ひとまず自分のためだけの人生だったのが誰かのための人生にもなるという意味で。結婚は女の幸せだという説明は少しも納得出来ないけど、主役じゃなくなる(気が楽になる)というのはとてもわかる。働いていようが働いていなかろうが、一女性としてのあり方を問われる機会は色んな意味でぐっと減る。今後変な男に捕まる心配も職場で嫌な上司に品定めされるような気分になる事もないっていうのはやっぱり楽な気持ちになれそうだ。

一方男性は人生のリングから降りる機会があんまり無い。社会にしっかりとした居場所を持っている分、絶対にそこで頑張る事が女性よりも強めに求められている様な気がしてならない。実際、社会の中での挫折を極度に恐れている男性って結構いる気がする。だから十円ハゲ作るまで働いたり鬱になって休職したりする事があるのかな。自己啓発本やビジネス書も男性向けのものの方が多く目につく。

働く女性にはこういう事が起きないとか苦労がないとかじゃなくて、なんとなく男性の方が無理する事を是とされている空気があるというか…。

いくつになっても子供心を忘れない(忘れられない)という事はいくつになっても人生の主役を張るという事でもあり、そこにはどうしても圧が生じるのかもしれない。

 

なんだ男の人もめっちゃ大変そうじゃん。なんでお互いにもっといい感じで生きられないんだ。

怖いのが今まで書いた話の中にいっこもしなきゃいけない事がないって事ですね。結婚も出産もしなくてもいいし男だからって仕事頑張んなきゃダメなわけでもないし、嫌なら別に逃げていいことばかりなのに大体の人はこういう事でがんじがらめになってるわけじゃないですか。私も。

 

そこで「走り込め」というアドバイスが生きてくるのかもしれないですね。何も気にならなくくらい走って、走れたとして、性別含む色んなしがらみは超えていけるんでしょうか?